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なぜトーベはムーミンを描いたのか?

熊本市で子連れで学べる英語教室を開催中です。

英語の絵本で学んでみようと、いうことで、ムーミンを学んでいます。

ムーミンの作家トーベ・ヤンソンは彫刻家の父親と、

イラストレーターの母親の娘として育ちました。
まさに、息をするように芸術の中で育ったトーベ。

2度の戦争を体験したトーベは風刺画として名をなしていました。
そんなトーベはなぜ、ムーミンを描くことになったのでしょうか。

【ムーミンを書くことになったきっかけ】

1931年フィンランドはソ連からの宣戦布告を受け同時にドイツからの圧力もあり、
食料や画材が不足になっただけではなく、

表現の自由もうばわれ、
風刺画としても名をなしていたトーベは

何度も風刺画の書き直しを迫られるのにうんざりしていた。

その逃げ場としておとぎ話のムーミンを描いたと言われる

「私自身は自分を根本において画家であると考えていますが、
1940年代の戦時中は失意のどん底で、とうとうおとぎ話を書き始めました

実を言うと現実に背を向けて作られた世界に浸るという一種の逃避でした。

愛に満ちた子どもっぽい世界に潜り込むのが少しばかり気が引けたのでしょう

ムーミン谷の住人達を絵にするとき、いわば弁解するように、みっともない姿に描いたのです。」

とインタビューで語っています。

そう思うと、ムーミンのキャラクターは心無しか、表情がないように思えます。

【ムーミン谷と彗星】
いま、この本を読んでいます。
 
ムーミン谷と彗星は戦争によってトーベが実際に体験した恐怖が描かれています。
 
これは長崎や広島に落ちた原爆の話しにも酷似しています。
 
これは1949年にヘルシンキで子ども向けの演劇として上映されました。
 
トーベ自身も脚本と舞台デザインを担当しました。
「世界の終わり」を題材にしたこの演劇を
劇場の管理者達全員が好意的にみた訳ではありませんでした。
 
英語の勉強も兼ねて、英語版を買いました。
難易度は高くなく、後ろに注訳があるので、辞書をひく必要もあまりありません。
 
 
日本語はこちら↓ ↓
 

 


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